有名なオリオン大星雲の上(北)にある素晴らしい星域。


手前にある反射星雲が、青白い星々の光を散乱して光っています。
そのガス雲の隙間から、背後にある赤い散光星雲(輝線星雲)が見えます。この隙間から見える赤い形が、人が走っているように見えるため、別名”ランニングマン”という名称があります。


奥から輝星星雲、反射星雲、そして一番手前にはガスがシルエットになって重なり、複雑な空間を作っています。

しかし、なんと激しい星間ガスの動きだろう。立体的に流動している様子がよくわかる。まるで、山にかかる霧のようです。自然はスケールを変え同じパターンを繰りかえしているのでしょうか。


フラクタルという考え方があります。

全体と部分の形を見比べた時、それが相似形になっている図形のことですね。味噌汁の中の味噌の浮き沈みと太陽の粒状斑。コーヒーに入れたミルクの回転と銀河の形状。突然わき上がる稜線の雲と星間雲の動き。なぜこんなにも似ているのでしょう? いろいろ考えてみると、この世界は全てが入れ子構造になっているとしか思えません。


我々からみたら宇宙の星雲は限りなく巨大ですが、彼らの世界からみたら我々の世界はあまりにも小さい。どちらが主体ということはなく、大きさはあくまでも相対的なもの。どのスケールが「宇宙の標準」なんでしょうか。

きっとそんなものはないのだと思います。

天動説が地動説になり、膨張する宇宙の中心が銀河系でなかったように、きっと宇宙に標準は無いのだと思います。大きな方向にも、小さな方向にも、宇宙は無限に続いているに違いありません。そしてそのどのスケールを切り取っても、同じパターンを繰り返しているのではないでしょうか。


...でもひとつ疑問がわきます。

だとしたら、「生命という形態は、なぜ、我々のスケールにしか存在しないのでしょう?」


これは私の想像にすぎませんが、きっと宇宙は大きな生命体であり、我々の体の中の細胞が、人間という全体像を想像出来ないように、きっと我々も宇宙という、想像を絶する活動領域を持つ、生命の一部分でしかないのではないでしょうか...


この想像の結末は、「生命とは何か?」という議論にたどり着きます。

とても深い、しかし興味の尽きない問題です。

  1. 箇条書き項目とてもすんなりと出来た作品です。フラットも完璧だったし、絵作りにおいても一発で決めることが出来ました。何の問題もなく完成に至りました。気持ち悪い位でした。こういった時は、とても気持ちがいいもんです。

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