Chapter1 マイコン時代(1976〜1981年頃) page1
 

軍事施設や研究所などでない一般人のCGの黎明期はやはりマイコンの黎明期と重なると思います。
映像の分野はまだビデオが主流になっていないときで、 家庭用のビデオ(ベータやVHS)がやっと出始めたばかりのころです。映像は完全にフィルム主体の時代で編集はフィルムをスプライサーで切ったり貼ったりしていました。

画像合成もオプチカル処理により実現していました。 今思うと本当に一時代前ですね。映像制作の手間は大変なものでしたが、この時代からCGやコンピューターの発展に立ちあえた自分はラッキーだったと思います。コンピューターが裸の状態で目の前にありましたから、原理と可能性を理解するのに最適でした。
まさか映像をファイルの形で保存するのが、あたりまえの時代がくるとは夢にも思いませんでした。

 
1976年(インテルが4ビットCPUを開発してから5年)、 NECがTK80というワンボードマイコンを発表 しました。自分とコンピューターとのかかわりはこのときからです。現在もありますが、秋葉原のビットインはその当時できたと記憶しています。 機械語のモニターしか搭載してなくて、8桁の7セグメントLEDに足し算の結果を表示したりするのに丸一日かかる始末でした。当時高校生だった自分は、いつも学校帰りに友人と寄っ たものです。係の人はとても親切で、わけのわからない高校生相手に、機械語をいっしょに組んでくれました。 I・Oポートにデータを書き込み、LEDを制御してきらきら光らせては喜んでいました。
 
  NEC Micro Computar TK-80
 
 
ある日、ビットインを尋ねると、どこのだれが作ったのかCRTインターフェースがこのボードに付いていました (NECのかたなんでしょうけど)。緑色のモニターに、"ABC"の文字が写っていました。このときはショックでしたね。コンピューター上のアドレスの内容が、ドット絵として視覚に入ってくるわけです。 「だったら、文字だけでなく絵がかけるじゃないか!」

コンピューターにやらせれば、計算時間はゼロに等しいものだと思っていましたので、「だったら、これを早く入 れかえることができれば、絵が動くんじゃないの!」と素直に思ったわけです。かっこよくいえば、この瞬間が自分とCGの出会いだった...ですね。 しかし、ワンボードマイコンを買うお金もないし、CRTインターフェースも試作品でしかなかったため、どうしようもありませんでした。「だったら、CPUチップを買って自分で作るか!」と本気で考えました。チップを買って作るほうがTK80を買うより安くすむためです。このときのCPUはZ80(TK80は、μPD780という互換プロセッサー)が主流。8ビットのCPUです。 メモリーはせいぜい512Byte。データの保存は300ボーのカセットでした。 秋葉にいくと、プログラムが入ったカセットが売られていた時代です。確かロジテックが16ビットCPUのワンボ ードマイコンをだしていたくらいだったと思います。 とにかく、ないものは作る。作れるんじゃないか?と思わせる時代の熱気がありました。 私も電子回路やソフトウェアーの専門家ではありませんでしたが、やる気はみなぎっていました。