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 29week  2001/7/16 〜 7/20

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プライベートで行ったバリの旅行記。先週の続きです。

,【 ←旅の前半は、先週のページで 】

7月15日(日)
5日目

はじめての宿で枕が合わなかったのか、あまり深く眠れなかった。そのせいか目覚めも遅く、9時近くになっていた。10時ごろ遅い朝食をとりにレストランへ。 もうほとんど人がいない。


混んでいるのを見たことがない。ここからの眺めは最高です。

フロントのボーイに髭がすごいといわれる。「あなたの名前はバリでは”パラデン”です。」と、言われた。バリでパラデンと言えば皆知っている人だそうだ。いったい誰なのだろう?

11時発の送迎バスでウブドへ。
今日は、一日ウブドで買い物のお付き合い。バスで降ろされた王宮前は、人でごった返している。混乱の只中へ放り込まれた感じ。多種多様の人種が行き来し、「タクシー?、タクシー?」と次々に声をかけられた。どこに行って良いかも解らず、右往左往するばかり。とりあえず、人の少ない方向に歩き出した。

王宮から北に進む通り沿いにあるCD屋で、バンブーのCDを買う。バンブーとは、竹で作られた楽器で、とても良い澄み切った音がする。僕は、昨年こっちに来た時に初めて聞いたが、一発でファンになった。音楽のジャンルとしては、ジェゴクというらしいのだが、この音楽を聴いていると、バリの時間の流れというか自然の営みと言うか、そんなものが頭に浮かんでくる。以前、このホームページにも書いたことがあるが、いつかこの音楽から受けたインスピレーションでCG作品を作ってみたい。


ウブド王宮の交差点角にある建物。秋葉原のラジオ会館のように沢山の小さな店が集まってます。

その後、あちこち回ったが、一番驚いたのは、日本人があまりに多いこと。ふっと隣を見ると日本人ということが多い。こんなに遠くまできているのに、なんかガッカリしてしまう。ウブドは日本人に人気があるそうだから、年中こんな感じなのだろうか?

その後、モンキーフォレストに向かう通りで、バティックの古着を買う。店内でさっそくそれに着替える。日焼けもしてるし、だんだんバリ人になってきた感じ。

そして、モンキーフォレストの側の通りを歩いていると、妻が驚きの声をあげた。向こうから歩いてくる日本人女性を指差してビックリしている。


左がバリに踊りの勉強に来ているという萩原さん。

その女性、日本で妻が通っていたバリ舞踊の教室でいっしょだった人。2人は相当ビックリしたらしく、その場で喚声を上げていた。僕は、唖然とするばかり。しかし、世間って狭いですね。...ということで写真をパチリ。


バリにバイクが多いのは、車が異常に高価な為、普通の人はバイクしか買えないそうです。

ウブドには、王宮後近くにサッカー場がある。
買い物が終わって、送迎バスの待ち合わせ場所に向かっている途中で、ちょうどそこで行われているサッカーの試合に出くわした。かなりの混雑。サッカーはここバリでも相当な人気があるらしい。見てください。この歩道に止められたバイクの数。試合が終わったあとは、このバイクがいっせいに道路に踊りだすわけで、すごいことになってました。


自主作品のキャラクター作成中

夜、寝る前にちょっとCGを。
ここまで来てCGをやれるという時代の進歩に感激です(休みだからそんなことするなという意見もありますが)。

MAXはR4からハードウェア-ロックキーがなくなり、ソフトウェア-キーとなりました。これのおかげで、パラレルポートをもたないノートパソコンでも、動作させることが出来るようになったんですね。電車の中や、こんな異国の地で、会社にいるのと同じ制作環境(CPUのパワーは違いますが)が構築できるというのは、本当に驚きです。

 

7月16日(月)
6日目

今日は、キンタマニに観光。
バリの東にあるバトゥール山に行く。いつもより少し早起きした。


テラスに出ると爽やかな朝日。高原に来ているようだ。

朝10時に、スアルタさんがお迎えに。驚いたことに、その車のドライバーは、なんと、カデさんだった。そう、空港であった昨年のドライバーの人。どうやらスアルタさんが気を利かせて、担当ドライバーを選んでくれたらしい。

キンタマニにいく途中の車中で、昨日フロントのボーイが行っていた”パラデン”という人は誰なの?と聞いた。そしたら、バリではかなり有名な俳優らしい。よくテレビに出ているそうだ。...とそこまではよかった。しかし、どうやら子供番組の歌のお兄さん役らしい。ガッカリ...。

ウブドからキンタマニまでは40kmほど。予定よりかなり早めに着いてしまうので、途中のみやげ物屋に立ち寄る。妻が買い物に興じている間に、一人、その店の前の道に出てみた。

主要な幹線道路のはずなのに、車がまったく通らない。抜けるような青空を見ていると、なぜか子供の頃の夏を思いだす。日本も昔はこんな静けさがあったような気がする。そしたら、向こうから小さな弟を連れた子供が歩いてくる。思わず手をふったら、とてもいい笑顔をしてくれた。なんて、素敵な笑顔だろう。抜けるような青空と、彼らの笑顔。いっぺんで幸せな気持ちになった。

そんなこんなで、11時半位にキンタマニに到着。車が斜面を登りきると、ものすごい絶景がそこに待っていた。


中央やや左が、バトゥール山。その右の湖がバトゥール湖です。

ちょうど箱根のように、外輪山に囲まれた中に満々と水を湛えた大きな湖があった。写真中央左よりの山がバトゥール山(標高:1717m)、その右がバトゥール湖。バトゥール山からは過去に流れた溶岩の後が生々しく見えている。溶岩がジャングルの木々をなぎ倒していた様がはっきりと見て取れる。

バトゥール湖にボートが浮いているのが見えたので、

私:「あそこで船にも乗れるんですか?」と聞いた。
(この一言がちょっとした冒険の入り口だったとは...)

スアルタさん:「行きたいですか?」
私:「ええ」

キンタマニを望むレストランで昼食を済ませた僕らは、バトゥール湖に向かうために、外輪山の斜面を降りて行った。スアルタさんも初めていく場所なのだそうだ。地元の人でもあまり行かない所らしい。

今日のツアーの本当の予定は、キンタマニで食事をとった後は、ウブド近くでライステラスを見るというもの。「こんな寄り道して、会社、大丈夫ですか?」「大丈夫、渋滞してましたと言いますから...」と言いながら、携帯電話で話すしぐさ。「上坂さん、友達ですから。大丈夫です。」...ありがとう。なんか僕が無理を言ってしまったようで、少し、気まずい。

さて、湖畔まで降りてみると、きちんとした大きな船着場があったので、ちょっと安心。しかし、地元のごろつきみたいな奴らが、スアルタさんに近寄って何か話している。なんとなく、意味はわかる。「俺たちの船に乗ってくれよ。」と言っているようだった。

そしていよいよ、ドライバーのカデさんを含めた僕ら一行4名は、小さな船に乗り込んだ。湖面に出てみると、とても気持ちがよい。普段運転をしているのであまり話せなかったカデさんとも、落ち着いて話すことができた。とてもさわやかな太陽と風をあびながら僕は舳先に陣取り、カメラのシャッターを切った。


その左にはキンタマニ山、右には外輪山。
外輪山の方から風が吹いていて、下から上ってきた空気が冷やされそこで雲が発生している。しばらく進むと、その雲の一部が霧となってバトゥール湖の湖上に流れ込んできた。船が進むにつれてその霧はだんだん深くなっていった。

だんだんと幽玄の世界に...。


人気が感じられない静かな村(トルニャン)。皆家の中にいるのだろうか?村の守り神のように中央に立つ大木が不気味だ。

さっきまであんなに晴れていたのに、どうやらその霧の中に完全に入ってしまったようだ。右岸に地元の部落が見えてくる。町の真中に大きな木。村にはまったく人の気配が感じられない。さっきまでのはしゃいでいた雰囲気とは大違い。どこかに吹き飛んでしまった。

それでも船は奥へと進む。

10m先も見えないくらいに霧が深くなる。遠くに見えていた小さな岬を右に回りこむと、怪しい樹木が生い茂る場所に出た。船着場と、朽ち果てた水上の家が見えるだけで、他には何もない。船頭さんとスアルタさんがなにやら話し合っている。

スアルタさん:「村を見たいですか?」
(船に乗るときは村は見ないと言っておいたのだが、船頭さんに勧められた様子)

私:「...」。
私:「見ることにしましょう。」

そして船は、その船着場へ。
霧でハッキリ解らなかったが、近づくと10人位の地元の人間がいた。船が着くと、取り囲むよう彼らが集まってきた。観光地でのバリの人たちのような笑顔はなく、本能的に”まずい所に来てしまったのか?”感じた。


どうやら、ここは、村のお墓らしい。しかも、火葬もせず、土葬もしない。風葬。つまり、死体をそのままさらしているというのだ。僕らは、その墓の入り口の船着場に立っていた。墓場の陸側は急な崖になっていて、此処に来るには船しかない。まあ、その方が墓場には都合がよいのだろう。

まるで、インディージョーンズの世界に紛れ込んだかのようなこの門をくぐろうとすると、周りにかなり高齢なおばあさんが数人いて、手を差し出してくる。はじめ僕は握手を求められているのかと思い、手を握ってしまった。乾燥した力の無い手。それがすぐに、”お金をくれ”の意だと気づく。先ほどの墓守の若者たちが、そのおばあさんに怒鳴って追い払っている。権利抗争か?

ツタのからまる門をくぐると、かなりの暗がり。死臭が漂っている。
そして真っ先に目に飛び込んできたのは、”ひとがた”の人形。バリのお面が編み籠の上に乗っけてあるのだけれど、とても不気味で、恐怖すら感じる。後ろには先ほど見たような大きな木があって、その根本には、骸骨が何気なく置かれている。この大木は独特の匂いがする?そのおかげで死臭がそんなにひどくないのだと思った。気がつけば、足元にも骸骨がごろごろしていた。


こわいでしょ?何気なく後ろには骸骨が祭壇の上に並んでいました。

墓守のボスらしき人が、こっちだと言うように手招きをした。そこには、葦で作った簡単な囲いがあり、その中にありました。死体が。


ちょっと見えにくいけど、白骨化した遺体がこの中にあります。

横並びに5体。、新しい死体には、きれいな布がかけられており死体そのものはハッキリと見えないようになっている。しかし、時間が経つと、腐敗したり虫に食われたりして白骨化するのだろう。

まだ新しい死体もあるのだからもっと腐敗臭がしてもよさそうなもの。墓守のガイドの説明だと、ここにある大木(名前は聞き忘れました)が、死臭を打ち消してくれているそうだ。

こうして”死”というものをまざまざと見せられると、いかに日本では、死が自分たちから遠ざけられていることかと気づく。死んだことを思い出し、死者を尊ぶように、四十九日とか一周忌とかがあるけれど、確実に死の実感がなくなっていく。先祖を思い起こさせるお盆でさえ、仕事の忙しさにかこつけて、墓にも行かないことが多い自分が恥ずかしく思える。

ここの人たちは、ここに来ることによって、きっと死を忘れる事はないのだろうな。

かの藤原信也が”メメントモリ「死を思え」”の著書の中で、「等身大の死を身近に感じられなければ人間は滅びる」と言っていたことを思い出す。まったくその通りだと思う。死のなんたるかを感じられなければ、生の大切さもわからないだろう。

なんで、日本では死体を隠すのだろうか?

そうこうしているうちに墓守のボスがスアルタさんに何か言っている。どうやら”チップ”を要求しているらしい。仕方なく、僕らが払おうとすると、彼らのうちの若い何人かが、さっと後ろに回った。財布の中身を見ているのだ。「あぶない」と思い、とっさに見えないように隠す。中身をみたら、あるだけ請求しようという所為だろう。結局、5万ルピア(600円位)を支払う。

墓場のサイクルはこうなっているらしい。
まず、死ぬと、一番新しい死体置き場に葦で囲われ、安置される。そしてそこで半年程たち、すっかり骨だけになると、骸骨だけを中央の祭壇の上に置く。ここに置かれる位置は、新しい順にシフトされていく。すると、一番古くなった骸骨はどこにいくのか?それは、墓場の左にあるごみ捨て場のような場所に捨てられるようだ。そこに骸骨がごろごろ転がっている。なんとまあ、おおらかな管理方法だろう。


捧げ物のごみの中に骸骨が何気なくあったりする。この無神経さは何なのだろう?

こうして、すっかり満足?した僕ら一行は、墓場を出て、帰路につこうとした。そうしたら、また金をくれとねだられる。「さっきのは正規の入場料。こんどのは俺たち(ここで、皆を指差す)のチップだよ。」とおっしゃる。もちろん、皆は我々の周りを囲んだまま、無言の圧力をかけてくる。仕方ないでしょ、こういう状況では。...結局、2万ルピアを払いました。

船に戻ってホッと一息。心なしかスアルタさん、カデさんも安堵しているように見えた。来たときの岬を逆に辿って行く頃、深い霧の向こうからまた船がやってくるのが見えた。彼らも墓場にいくのだろう。...結構観光地なんだな。

さて、この日一番の出来事は、実はこの後に待っていた。
20分ほどかけて、車を止めた船着場についた。トイレに行って、車に乗り込もうとしたその時、この駐車場に来た時の連中が、僕らをぞろっと取り囲んだ。インドネシア語で、なにやらまくし立てている。かなりの剣幕で。これはまずいと思ったか、ガイドのスアルタさんが車を開けて、僕と妻だけを中にいれてドアを締めた。それも後ろ手で...。スアルタさんとカデさんは、5,6人の柄の悪い連中に囲まれて今にも取っ組みあいの喧嘩になりそうな雰囲気。スアルタさん大丈夫か?

本当は、ここにその時の写真を見せたいのですが、とても写真をとることが出来なかった。カメラのレンズでも向けようもんなら、難癖つけられると思ったのです。

しかし、我らがガイドはまったくたじろぐ様子も見せず、平静な顔をしてなにやら話している。子分の一人がつかみ掛かろうとしているのが見える。その時、スアルタさんがドライバーのカデさんに目配せすると、カデさんが財布から札を取り出すのが見えた。...結局、お金で解決を見たようだ。二人は、そそくさと車内に乗り込む。

私:「大丈夫ですか?」
スアルタさん:「大丈夫です。(笑顔)」

無事に車は、そこを離れることができました。
外輪山の斜面を上りながら何が起きたのかを聞くと...。

彼らは地元で個人的に観光船を運営しているグループで、僕らが船に乗るときに、近づいてきて「俺たちの船に乗ってくれ。」と言ったそうです(前に書いた僕の想像どおり)。スアルタさんは「解った。」と言ったのですが、彼らが少し危なそうな人間だったので、村が運営する船に乗ることにしたのだそうです、安全の為に。そして、帰って来た時に、僕らが村の船に乗ったことがバレて、ああいう事態になったという訳。あんなに多人数に囲まれて恐くなかったか?と聞くと、「私は、ああいうのは全然平気です。喧嘩、大丈夫ですね。私、デンパサールの人間。ここは、田舎ね。彼らは単なるゴロツキ。私は、デンパサールのもっと悪い連中を沢山知っている。だから、大丈夫です。」と、まったく頼もしい態度。「バリの奥地に行く。ガイド無しは危ないですね。ブサキ寺院に行った日本人が、暗がりに連れ込まれて、何万円も取られたと聞いたことがあります。私も、そういう所に行く時には、こんな(身振りで長さを示す)棒を持っていきます。」と、ニコニコしながらしゃべってくれました。我らがガイドに乾杯といったところです。...大事にならなくて、よかった。よかった。

同じ危機を体験した同士ということで、車内は前より親近感に満ちた感じ。本来の予定のライステラスを見終えた後は、酒の話で盛り上がり、僕が地元の酒が飲みたいという話をすると、車を走らせながら、地元の酒屋を探してくれました。バリにはアラクというヤシの実から作った強いお酒があるそうで、アルコール度は、60%といってました。 そして、よい按配の場所が見つかったらしく、僕らを車内に残したまま二人で買いに行ってくれました。見ていると、ちゃんと利き酒をしてくれてる様子。


ビンに入って売ってるわけではないんですね。ビンに詰めているのが見えました。

彼らは、瓶詰めのアラクだけでなくツマミのお菓子まで買ってきてくれました。バリでよく見かける揚げせんべいです。「このお酒はちゃんとしたもの、いいお酒です。私、味見しました。」だそうで、スアルタさんの保証付き。これで、楽しみが一つ増えました。ホテルに帰ったら飲んでみます。

この日、本当はホテルに送ってもらうハズだったのですが、急遽ウブドで降ろしてもらうことにしました。というのは、ウブドの王宮で開かれるレゴンダンスを見るため。夜、7時半に開演です。スアルタさん、カデさん。今日はいろいろありがとう。お疲れ様でした。彼らとはここで別れました。


座敷(とは言わないかもしれないけど)に上がったら、やっとホッと出来ました。
右は、「7時までですけど良いですか?」と言われている所。

開演まで、ロータスというカフェで、ビールを飲みながら休む。
ここは、店の中に池があり、その端に舞台がある。かなり本格的な作りの店です。なぜか、その舞台に一番近い良い席が空いていて、「7時から公演があるので、それまでですよ。」ということで、その席に通して貰えました。ビンタンビールとつまみを頼んで、なんかやっと落ち着けた感じ。


ThinkPadX21

だんだんと暗くなってくる景色を見ながらデータの整理を。しかし、こんな所までノートブックを持ってきているだからかなりの根性。今日、今まで撮ったデジカメのデータを確認しました。

この店を7時ちょっと前に追い出されたので、この隣の店で今度はコーヒーを一杯。この店はホテルなのか、何なのかちょっとわからなかった。でも、雰囲気がとてもいい。先ほどの店をちょうど上から見渡せる位置にある。こうして、夕暮れから暗くなるまで、ぼんやり過ごすのはいいもんです。

そして、いよいよレゴンダンスを見るために王宮跡へ。

会場は、庭。皆、地面に座って見る。もう沢山の人だかり。いろいろな人種が入り混じっていて、異国に来たということを実感。ちなみに僕の隣には、フランス人の女性2名。同姓愛らしく、すっかり2人の世界に入ってました。

僕は、バリ舞踊に関してはあまり知識がありませんが、劇場でやるものよりも、こうして天蓋をバックに行われる方が自然な感じがします。ほんとだったらジャングルの中でやったら良いのかもしれません。星空をバックにした踊りは、とてもよかった。

とまあ、なんと盛りだくさんの出来事があった日。
ホテルに帰ったのが10時。それからレストランで食事ですから、寝たのが夜中の1時ごろでしょうか?明日はホテルでゆっくり休むことにして、眠りに落ちました。

 

7月17日(火)
7日目

昨日があまりにも激しい日だったので、今日は10時頃起きて、その跡もホテルで過ごす。レストラン下のプールサイドで過ごす。とても風が心地よい。

夕方、涼しくなった頃にウブドへ出かける。
目的は、ハッキリしていて、2日前に見かけたバリのお面を買うため。王宮前の雑居ビルの2階にその店はあって、階段を上っていくと、沢山のお面が並べてある廊下にでる。ここを歩くとなかなかの迫力。


お面は、どれも薄汚れていて、魂が入っている様。ここ夜一人で来たら恐いだろうな。

中には、とても気持ちの悪いお面もあって、選ぶのを躊躇したが、結局4つのお面を買いました。4つで120000ルピア(1400円位)。まあまあの買い物でしょうか。

その後、昨日踊りが行われたウブド王宮後を散策。


昨日踊りが行われた場所です。この門から出てきて、手前で踊りました。

舞台がある裏の敷地にも入っていけるようなので、行ってみたのですが、行ってみてビックリ。きれいな建物が次々に出てくる。それらが迷路のように配置されてます。観光客もほとんど居なくて、ウブドの喧騒に疲れたら、ここに来るといいですね。



奥に入ると、さまざまなな建物が。塀の門をくぐってそのまた奥にいくんですが、そこにもまた同じような建物が。 すごい広さです。

一番奥の中庭では、子供たちが遊んでいました。この王宮後を管理している家族なのでしょうか?ここに住んでいるようです。庭にある池からでっかいなまずを網で捕まえて遊んでいます。どこの国の子供も、やることはいっしょですね。

さて、インターネットカフェでちょっと実験。
”ここから、ライブのホームページを見ることができるか?”を試してみました。




ちゃんとLiVEの我がホームページが表示されました。
”ライブカメラ”で皆の様子を確認したのはいうまでもありません。

まあ、当然なんですが、無事に表示することができました。OSは、Windows98。日本語フォントも入っていて、日本で見るのと同じようにアクセス成功。やっぱりインターネットってすごい。

今日は、バリで最後の夜。ちょっとフンパツして、部屋のテラスで食事をとることにしました。

レストランからこのコテージまで、一品一品運んでくれます。結構距離があるんです。ご苦労様。ちょっと贅沢な気分です。星空を見上げながら、蝋燭の炎だけでとる食事はムード万点。食事も満足できるものでした。

 





この日買ったお面を着けて喜びのポーズ
(「お面ってわからなかった」って?怒るよ!)

それから、昨日買ってもらったバリの”アラク”飲みました。
飲んだ感じは、とてもアルコール度の高い焼酎って感じ。スアルタさんの教えに従ってコーラで割って飲みました。こうすると確かにすごく飲みやすい。何の抵抗もなく飲めてしまう。でも、強いお酒なので、ちょっと危険。やっぱり、ロックで飲むのが味も解ってよいと思います。なかなかさっぱりした酒ですよ(...強いけど)。

この日買ったバリのお面でちょっと悪ふざけ。そしたら、お面の神様が怒ったのか、夜中に恐い夢を見て、さんざんうなされました。ふと我に返って起きると、何かお面の置いてあるあたりがボーっと...。というのは嘘ですが、恐くてトイレにもいけない位。子供の頃、母親を起こして行って貰ったのを思い出しました。こうして文章にするとなんでもないけど、ほんと恐かったですよ。バリの空気がそうさせるのか、とても恐い夜でした。

 

7月18日(水)
8日目

今日は、いよいよバリ最後の日。これでお別れ。8日も居たので、これで終わってしまうかと思うと寂しい限り。10時にチェックアウトを済ませました。



デンパサール空港に向けて出発するのは、午後。それまでずっとプールサイドで過ごしました。テーブルの側のコンセントに電源コードをつっこみ、ノートパソコンで自主作品「月の光」のキャラクター制作。5月のような爽やかな風の中、とても快適。前に”森の中のCG制作スタジオ”という夢を書いたことがあるが、それが実現したらこんな感じだろうか?

午後3時に、スアルタさんが迎えにきてくれて、お決まりのDSFでお買い物。その後、デンパサールの搭乗手続き窓口まで荷物を運んでくれた。普通ガイドさんはここまで入ってはいけない決まりだそうで、それを破って付き合ってくれました。本当にありがとう。でも、彼は、今年はすごく忙しそう。途中数日は風邪をひいてたみたいだし、睡眠時間もあまりとれていないようだった。昨年は、待ち合わせの時間に遅れたことのなかった彼が、今年は、3回も遅刻した。無理もない。「あまり混雑していない時期に来てください。私、会社休んでガイド、どこまでもしますね。」「わかりました。来年はもう少し早くきますね。」

そう言ってスアルタさんとさよならをした後、飛行機出発までの2時間位をどうすごそうかと空港内を彷徨っていると、”福太郎”という下手な日本字の看板が眼につきました。日本食と、酒も飲めるようなので、そこに入ることに。

店内は、純日本風。ちょっと高級な日本料理店といった感じ。席に案内されて、まず眼に入ったのが、能のお面。まあ、普通のお面なのですが、バリのお面を見慣れた眼からすると、そのお面のなんと繊細なことか。日本人の特質、民族的才能をハッキリと見たような気がしました。”日本人が堂々とその感性を海外に発表したら負けるわけがないぞ”、”日本のCGは世界に勝てるな”なんてことが、思い浮かんだ。島国に閉じこもっていたら解りませんね...こういう感じは。他人と接することによって自分の何たるかが解るのと同じで、世界の中での日本の位置というものを正しく理解することはとても大事な事。そして、それをわかった上で、作品を作れれば、きっと世界に通用する。人まねではないものを見せることができると思いました。

しかし、何日かぶりに飲む日本酒の美味かったこと。刺身などのつまみもまともなもので、とてもここがバリだとは思えませんでした。

時速890km、外気温-45度。高度10700m。23:36PM(日本時間)
日本へ向かうJAL726便は、現在ジャカルタに向けて飛行中。外気温-45度、内部は25度位。ビールをちびりちびりやりながら、この日誌を書いています。すごく不思議な空間。

デンパサール飛行場から飛び立てば、はるか下方には、ここ9日間過ごしたバリ島が広がっている。夜だから島は見えないけど、小さなあかりが沢山見えている。特に海岸沿いのビーチのあかりが、浜辺を照らし出して美しい。「あの明かりはどこだろう...」と、一つ一つ探っている暇もなく、機は雲の上に出てしまった。

終わってみれば長かったような短かったような休日でした。思い起こせば沢山の思い出があるんだけど、とても短かった。今年は観光地としてのバリだけでなく、素のバリもちょっと見たような気がします。”笑顔の素敵な南の島”という夢の側面だけでなく、その貧困と、日本人とちっともかわらない人間としての欲望など...。あたりまえのことですけどね。

ジェットエンジンは、その排気口をわずかに赤く染めながら黙々と仕事を続けています。

 

7月19日(木)
9日目

うつらうつらしているうちに何時の間にか空が明るくなっていた。

日本が近づいた頃、ふとヘッドホンを耳に当てるとJALの寄席番組が流れている。聞き始めると、なにやら懐かしい声。そうなんです。懇意にしてもらっている柳亭燕路さんがしゃべっているではないですか!!

なんという驚き。朝焼けの日本の空をバックに聞く、師匠の声。日本に帰ってきた〜。という実感がこみ上げた瞬間でした。


日本は厚い雲の下でした。成田空港に着陸前、着陸中、着陸後の翼。翼から剥される気流が霧のすじを作っています。

しかし、徹夜飛行の後の朝は、いつものことながら気持ちがよくない。体力的にもだめだし、気分はもっと最悪。長かったバカンスも終わってしまいました。海外旅行に毎月行くという人もいるみたいだけど、気持ちがわかりますね。なかなか社会復帰できそうにない。

また、来年の旅行を夢見て頑張ることにしましょう。

 

   
7月20日(金)

日本に帰っての復帰一日目。
「みんなご苦労様〜!」と元気一杯になりたいところだけど、体の疲れと、心がブルーになってるのでそんなに元気にはなればい。長期休暇の次の日ってつらいもんですね(ずっと働いている人には悪いけど)。

昼前から、放芸さんとの打ち合わせ。本当は、今日は休日ですが、社員のほとんどが出社してます。この打ち合わせがあるからという理由で出ている人もいて、で、なぜ今日打ち合わせかと言えば、僕がずーっと休んでいたからなんですね。...ほんと申し訳ないです。

さて、留守にした間にはそんなに大きな問題もなかったようでホッとしています。また、来週から戦いの日々が始まります。心機一転で頑張らなければ。