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 7week  2003/2/9 〜 15

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2月9日(日)

午後一で、病院におばあちゃんの様子を見にいく。

相変わらず呼吸が苦しそうだ。こちらが呼びかけると反応はするが、誰なのかはわからないだろう。眼の焦点があっていない。腎臓の機能低下で半身のむくみがひどい。パンパンにはれている。しっかりしていたころ、「今日は足がむくんじゃってしょうがねえよ。」と言っていたのを思い出す。さぞや、痛いだろう。

その帰り、車のことで大宮のディーラーにいく。向こうについたのが4時ごろだったろうか。17時半に、そこを出て帰路についた。

16号線を春日部方面に走る。ここの帰りにはいつも、例の喫茶店にいくのだが、どうしたものか?とおばあちゃんのことが気になった。帰った方がいいかな?

結局、少し休んでいこうということになり、店に入った。もう陽が暮れて周りの林の中は真っ暗だ。席について、コーヒーをひとすすりしていたら、携帯が鳴った。

いやな予感があたった。
おばあちゃんが危篤状態になったという連絡だった。

頭の中が真っ白になる。”やはり、まっすぐ帰っていればよかった...っ!”

血相を変えて店から出る。驚きの様子で見つめるマスターを横目に、それでも事故を起こさないように気をつけて車を走らせたが、傍目にはどんなだったかは解らない。春日部までどんなに早くても15分はかかってしまう。

果たして病院につくと、すでに、死亡確認の終わった後だった。
ひとしきりの、蘇生処置の後、父親も不在で、妹が「もう、やめてください。」と言ったそうだ。それにしても、また、死に目に会えなかった。喫茶店に寄ったことが悔やまれる。まさか、こんなことがすぐに起こるなんて思わなかった。妻が、「おばあちゃんは、女だから、胸をあらわにする蘇生処置を浩光に見せたくなかったんだよ。」といって慰めてくれた。

もう、随分前から覚悟が出来ていたせいだろうか?涙は一滴もでなかった。おばあちゃんが始めてここに入院した頃、おばあちゃんと2人だけの病室で泣いたのが最後だったろうか...

おじいちゃんが亡くなってから、わずか2週間。ちょうど2週間目だ。
人生の長さを考えると、ほとんど一緒に逝ったと言ってよいだろう。またひとり僕の大切な人が逝ってしまった。

 

 
2月10日(月)

通夜は、明日火曜日になったので、今日は普通どおりに出社。

明日明後日と、通夜、告別式が続くので、会社に支障がでないよう、いろいろな用事を済ませる。今週は、スケジュールがギッシリで、木曜、金曜と、大阪で大塚商会のソリューションフェアーがあり、その講演準備も今日のうちに済ませておかなければならない。

しかし、おじいちゃんもそうだったが、おばあちゃんも絶妙なタイミングで亡くなってくれたように思う。ちょっとずれていたら、CGフェスティバルもそうだし、今回の大阪講演も行うことは出来なくなっていたのだから。

 

 
2月11日(火)
建国記念日

誰に聞いても、2週間のうちに2人の不幸があるケースというのは、珍しいといわれる。葬儀会社の人も初めてだと言っていた。

納棺の時、遺体が傷まないように添えてあったドライアイスの形に太ももが変形し、陥没していたのが痛々しかった。人の皮膚は死んでしまうと元の形に戻らなくなるのだと実感。こうして自分の皮膚を押した時、それを押し返す力こそ、生そのものなんだな...。

それにしても、親戚や、近所の方には、本当に申し訳ないと思う。つい先日も同じような騒ぎになったばかりなのに、また、ご協力を願わねばならぬのだから...。みなさん、本当にありがとうございました。沢山の方に来ていただき、無事に通夜を終えることが出来ました。

おじいちゃんの時と同じように、線香を絶やさない役目で葬儀場に父親と泊まった。
外は、もやが出ていて、不思議な雰囲気の晩だった。

 

祖母、お通夜
2月12日(水)

朝、枕元に置いた携帯電話の、メール着信音で眼が覚める。
外に出ると、もやも晴れてさわやかな空気の朝だ。6時半に起きたが、普通の生活ではこの時間を体験することは少ないので、空の様子が新鮮に感じられた。


2人続けて不幸があった時は、3人目を連れていかれないように、この写真のようなこけしを、身代わりとして棺おけに入れるのだそうです。そういう意味でこのこけし(来迎仏)、めったにおめにかかれるものではないということ。昔は、何人も続けて亡くなることが多かったのだろうな...

出棺で、おばあちゃんと最後のお別れ。お棺に思い出の品を入れ、蓋を閉める。

しかし今回は、まったく涙が出ない。

これは、不思議な体験だった。人はあまりにも悲しいとそうなってしまうのだろうか?それとも覚悟が出来ていたということだろうか?おばあちゃんとは、小さい頃からの思い出が沢山ある。しかし、それらもまったく浮かんでこない。頭の中が真っ白になってしまったようだ。

 

祖母、告別式
2月13日(木)

午後、会社に出社して、すぐに明日の講演のために大阪に向かう。
会社で、雑用をしているうちに、時間がぎりぎりになり、3時21分の新幹線に発車間際に飛び乗った。乗り込んだ瞬間に動き出す際どさだった。

昨日までのゴタゴタから逃れて、明日の講演内容のパワーポイントをまとめるのにはうってつけの時間。先方の大塚商会さんがグリーン車を手配してくれたので、とても優雅だ。今日は天候もよく、富士山が綺麗に見えている。

関が原に入る前に、パワーポイントのまとめも終わり、後は明日を待つのみとなった。

大阪のホテルにチェックインした後、夕食を食べに大阪のステーションビルに出かける。最上階のレストラン街にいったのだが、和食料理屋の展望のよい席がちょうど空いていたので、そこで会席料理を頼み、ゆっくり酒をのんだ。

 

しかし、どうしたことだろう。すばらしく綺麗な夜景をみながら酒をすすっているうちに、おばあちゃんのことが頭に浮かんできて、涙が出てきた。

”そんなこまるぜ、こんなところで...”

昨日まで、一滴も出なかった涙が、こんなところで溢れ出してきた。周りの客と眼を合わせないように、大阪の夜景を見続けた。

 

 
2月14日(金)

大塚商会・ソリューションフェア当日。ホテルからタクシーで、大阪国際会議場に向かう。以下、運転手さんとの会話。

運転手:「今日は、あそこでなんか開催されてるようですなー。行かれるのはその関係ですか?」
私:「大塚商会さんのソリューションフェアーっていうのがあって、実は、そのセミナーで僕が講演するんですよ。」
運転手:「そりゃーまー、すごい。大変だねー。緊張しませんか?」
私:「...します。」
運転手:「私なんかねー、結婚式でしゃべるだけでだめだよ。人の前でしゃべるってのは、難しいもんだよねー。頑張ってくださいね。」

(そのとおりです。でもこの会話でリラックスできました。)

左が国際会場のエントランス。右がフェア会場。結構大々的でビックリ。もっと小さな催しかと思ってました。

セミナー会場について、すぐに動画再生のチェックを行うが、インストールしてあるDVD再生ソフトウェアーの性能が悪く、ボケボケの絵になってしまうことが判明。でも、仕方がない。そのまま本番に入った。う〜ん、残念。僕らにとって画質は生命線なのに...(>植松さ〜ん!)

セミナー内容は、「エンジニアリングCGの最前線」という仰々しいもの。
1月の池袋での講演内容は、僕が自由に決めたものだったが、今回は大塚商会さんの方からのリクエストがあり、エンジニアリングCGという主題をどこかに絡ませて欲しいとの要望にこたえたものになった。そこが少々不安の種だった。

まあしかし、話し始めれば、徐々に熱が入ってきて、ほぼ、自分の思いは伝えられたのではないかと思うが、どうも全体の反応が、この間の講演のようには返ってこない。大阪の人は、感情を表に出すと聞いていたので、こりゃ、まずいか?と思ったが、中には大きくうなずきながら聞いてくれている人も見えたので、少し安心した。

しかし、どんな人が何を望んで聞いてくれているのかが良くわからないというのは、恐ろしいものがある。自分と同じCGクリエーターの人たちに向かって話すのは、ある程度予測がつくが、今回はどんな感じの人達が来てくれているのか、まったくわからない。

話しながら聞いてくれている人たちの顔を見ると、ガメラの特撮監督として有名な樋口さんにとてもよく似た人がいるのに気づく。”まさか?”ね。講演に参加する人の名簿は事前に知らされていたが、その樋口さん似の人は、講演が始まる直前に、飛び込みで入ってきていた。樋口さんは、一昨年、筑波のコズミックカレッジで一度見かけたことがあるので、見間違いではないかも?でも、他人の空似だろうな?

まあ、そんな感じで無事講演を終了することが出来ました。

それから、ニテコ図研の田中さん、竹中工務店の馬場さん、声をかけていただきありがとうございました。知らない土地で、知っている人に会えるのは、とても心強くうれしかったです。また、アイメージの湯脇さんとは、いろいろ話が出来てよかったです。初対面だったのですが、湯脇さんの方は、ライブのホームページを見てくれているらしく、こちらの事情をよくご存知でした。

大塚商会の植松さんと別れた後は、一人2階のロビーで食事。講演後のホッとした感情を、結局誰とも共有できず、とても寂しい昼食をとりました。唯一、ライブに電話して、無事終了したことを伝えたのが救いだったかなー。

今度こういうことがあったら、必ず誰か連れてくるようにしよう。

 

 食事をとったレストランから


大阪駅までの送迎バスの中。講演後一人帰るのは
とても寂しいものですね。

しかし、今週は、実にいろいろなことが起こっためまぐるしい一週間だった。ほとほと疲れたというのが実感。帰宅するとすぐに眠りについたのは言うまでもありません。

 

 
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